三井高利の死後
三井高利の死後、その遺産は嫡男高平以下子供たちの共有とされ、各家は1694年に、家事と家業の統括機関である「三井大元方」を設立するとともに、「宗竺遺書」、「三井家憲」の下に、一体となって三井家を盛りたてました。これがいわゆる「三井十一家」です。代替わりするごとに十一の家同士の血縁が薄くなるのを防ぎ、家間の血縁関係を強固にするために、江戸時代から明治以降までは三井一族同士で結婚するケースも多かったようです。
北家当主は3代高房以降、代々三井八郎右衛門を名乗っていました。高房は、豪商たちの興隆・衰亡を記した「町人考見録」を著して地道な商売の必要性を唱えて大名貸などの派手な取引を禁じていることで有名でありました。
