事業の拡大
着々と事業を拡大し、紡績業、興行、機械などにも進出し多数の企業を傘下に加えた三井は、1909年に三井合名会社を設立し、日本最大の財閥へと発展していきます。三大財閥のひとつである三井財閥は、有能な人を多く配したことから「人の三井」と言われたり、「番頭政治」と言われたりしました。三井本館が建て直された頃、三井合名理事長の団は、日本工業倶楽部の初代理事長、日経連会長も兼ね、このころが三井財閥の黄金期であったとも言えます。しかし、日本にも徐々にウォール街の株価大暴落や世界恐慌の波が押し寄せてきました。金解禁、昭和恐慌のなかで、財閥批判がおこり、三井は「ドル買いでおおもうけ」とたたかれることになります。1932年、団は出勤しようと三越側の玄関を上がりかけたところで、国粋主義テロリストの凶弾に倒れ、自らの手で建設した三井本館で息を引き取ることとなったのです。
